2018-07-12 第196回国会 参議院 内閣委員会 第26号
また、負けを取り戻そうと、乗ってきた車まで質に入れた挙げ句、浮浪者になる人が二、三千人も出ているということで、カジノでつくった借金のために一家離散するケースや、子供を学校に通わせるのに浮浪者がたむろしている、その状況を危険に感じ、ほかの町へ引っ越す親子、地元に残ったのは行き場のないお年寄りだけでありました。
また、負けを取り戻そうと、乗ってきた車まで質に入れた挙げ句、浮浪者になる人が二、三千人も出ているということで、カジノでつくった借金のために一家離散するケースや、子供を学校に通わせるのに浮浪者がたむろしている、その状況を危険に感じ、ほかの町へ引っ越す親子、地元に残ったのは行き場のないお年寄りだけでありました。
○鬼木委員 私も、以前、インドのスラム街を視察に行ったことがありまして、そこでは、スラムといっても別にみんな浮浪者じゃないんです。仕事をしているんです。そこは海辺ではなかったんですが、船の解体ではなかったんですが、巨大なスラム街の中でいっぱいビルがあって、みんな何か仕事をやっているんです。何かミシンでいろいろなものをつくったり、染料で布を染めたり。
そうなると、学校についていけないから、そこで、浮浪者になってしまったり、ぐれてしまったりという問題が起きるわけでございます。 そうすると、連れてくるときには学校教育をどうするのかということをちゃんと審査して考えていただくことと、あるいは、それでも連れてきていいならば、国は地方自治体に対して、こういう日本語教育をちゃんとやりましょうねという補助金をつけていただいて、外国人を雇用してくださいと。
私たちの議連で考えている法律は、もっと対象者を縛るということは考えてはおるんですが、やはり新聞を見ると、例えば当時、浮浪者と言われる人たちは実はみんな戦災者が多い、圧倒的に多いというのもあります。また、一九五二年の衆議院の厚生委員会で戦傷病者戦没者遺族援護法案に対する公聴会をやっているときに、大学教授などは、これはやはり軍人軍属だけでなく全ての戦争犠牲者に同様の援護を行うべきだと言っております。
しかしそれは、浮浪者が入ってきたり、あるいは子供たちがそこで火遊びをしたり、さらにはまた、目抜き通りのところにあって景観上非常によくないものであったり、台風や地震などがあったとき倒壊して両隣、近隣に危険を与えるような建物というのは実はたくさんあるわけです。
私が森村誠一さんの小説を昔読んだ中にも何かそういう、要するに山谷の浮浪者等を、ごちそうしてみんな自分の会社の社員にして次々と取り込んで、そして、同意は求めたんでしょうけれども、結局は殺害して、保険金殺人をやるというような、もうちょっと複雑なストーリーですけれども、そういう小説を読んだ記憶がございまして、現に力関係、優劣関係がありますとなかなか厳しいものがあるなというのは、先生の御指摘のとおりだろうと
心中があって、自殺があって、そして町に浮浪者があふれる、そういう事態を正に引き起こしたその負の一面について是非大臣に御認識いただきたいと思いまして、あえて失礼ながらこの質問をさせていただいたんです。その点について今大臣のお言葉にはなかったんですが、是非この点、また何らかの機会に資料等お読みいただくようにお願い申し上げたいと思います。
これは、時代が非常に飢饉その他で浮浪者、こそ泥、そういうような江戸の中の治安が悪くなったんでこういうものもつくったということのようですけれども、刑罰執行施設というより犯罪予防的な救貧・授産の更生施設としてスタートしたと。その後、一八二〇年ごろからは江戸払い以上の追放刑を受けた者をも刑罰として収容するようになったと、こんな話でございます。
大阪でも、例えばホームレスというのがありますが、ホームレス、これは言ってみたら浮浪者なんですね。横文字出してくることによって何かそれが格好いいかのような、何か勘違いしているの違うのと思うんですが、何よりも大事なことは、憲法の国民の義務の一つ、労働の義務というのがあります。この労働の義務を果たさない、憲法を守らない、これの問題の方がよっぽど重要に考えてもらいたいなと。
公園にいるのは、ジョギングしているか、ベンチに座ってうらぶれたコートを着ているおじさんか、段ボールの中に入っている浮浪者というかそういう人たちだと思うんですね。子供たちは遊んでないですよ。また親も、危険だから遊ぶんじゃない、こう言っているわけです。では、だれと遊ぶか、同級生なんです。同級生もしくはゲームなんですね。 ところが、我々が子供のころを覚えていらっしゃいますか。
それで、町の中に、言葉は悪いかもしれぬけれども、浮浪者みたいにして行っちゃったんですよ。それで、一浮浪者から頑張ってたたき上げてきたんです。それは、あなた方がカリブの楽園といううたい文句で募集したから、本当に今行って話をすると優秀な皆さんだったというのが分かりますよ、すさまじい競争率の中から送られた人だから。あのころ、カリブの楽園といううたい文句で募集すりゃ、それは殺到したんですよ。
あるいは、浮浪者が入ったりすると、またこれは大変危ないということになります。さらに、だれかがたばこの火でもぽっとほうり込もうものなら、草が燃えて火事が起こる。地域の保安上、防災上あるいは衛生上、非常に大きな問題なわけでございますが、こういった現状に対して、国土交通省としてどのように認識し、また対応しているのか、お伺いいたします。
戦争孤児になって浮浪者になっている子供たちを施設収容にして、社会の我々の目の見えるところからいなくなってくれ、こんなふうな政策が一貫して、戦後、施設収容ということがとられてきたわけです。その後、施設の中でも、大舎制がいけないんだ、小舎制が必要なんだ、グループホームが必要なんだ、個室が必要なんだという議論が出てきました。さらに、里親が必要だということも出てきています。
こういう子供たちが、日本でも敗戦国のときには子供たちが浮浪者となってそこいらに走り回っておったと。そういうものをしっかりと教育をする、学校の修復ですとかあるいは教員の研修ですとか、やるべきこと、教材の支援ですとか、そういうものはもうやるべきことは一杯あるわけで、それは現にユニセフを支援してやっていると。
その際に、とある山手線の駅のガード下に、何人もの定住しない、言葉は失礼かもしれませんが、いわゆる浮浪者という方がおられました。中には、ペットボトルをまくら元に置き、そして段ボールの上に寝転んで生活をしている方もいらっしゃいました。 彼らが生活をする上で、一体どのような処遇があるのでしょうか。経済的にどのように自立すればよろしいのでしょうか。
ただ、浮浪者を中学生があやめるというようなことはもう何十年も前から幾つか起こっているところではございますけれども、今の社会状況は、大人の犯罪も物すごいわけですし、それから外国人等による犯罪もこれまでにないような残虐さを加えてまいっております。
これに関連しての、栄養失調をなくするために、子供が、親がどんなことをしているかという情報はたくさんございますけれども、もう時間がありませんからそれは触れることはできませんが、浮浪者が今物すごく多いのです。子供だけではなくして、一家族で、五人とか四人単位の浮浪者。
また、あのとき御質問させていただいたんですが、実は上野とか新宿の浮浪者というのは結構いまして、本当に昼間でも男一人だと歩くのが怖くなるような状況なんですよね。ところが今、東京駅の地下街の、丸の内の地下ですら、非常にきれいな格好をした浮浪者の方たちが大量に夜寝ているんですね。
最近の科学技術の進歩によりまして、殺人者や浮浪者を排除しつつ、なおかつ地域に開かれた学校を実現することは可能であると考えるのであります。私は、学校における警備体制の強化とオープンな学校は何ら矛盾するものではなく、両立し得るものであると考えております。例えば、どこに設置をされているかその存在がわからないような監視カメラとインターホンの組み合わせは、既に一般家庭の住宅において相当数採用されております。
○小泉(俊)委員 後ほどまた御質問しますけれども、これは、新宿駅に今行きますと、昼間でも浮浪者の方たち、それもかつての浮浪者と今は違いまして、大分目のぎらぎらした浮浪者の方がかなりふえております。なかなか昼間でも女性一人ではちょっと、周りに人がいるからいいんですが、歩くのが結構怖いような、私が歩いていても怖いような感じがあります。